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和歌山地方裁判所 昭和36年(た)1号 判決 1961年12月20日

被告人 井戸善一郎

決  定

(請求人氏名略)

右の者に対する放火被告事件について、昭和二十九年七月九日当裁判所が言渡した有罪判決に対し被告人は控訴並びに上告の申立をなしていずれも棄却せられ、右有罪判決は確定したところ、この確定判決に対し右の者から再審の請求があつたから、当裁判所は請求及び検察官の意見を聴いたうえ、次のとおり決定する。

主文

本件再審の請求を棄却する。

理由

本件再審請求の要旨は、請求人は放火被告事件について、当裁判所において「請求人は和歌山市湊千五百の二十番地所在のタマ燐寸株式会社の社長であり、瀬戸靖夫は同会社取締役であつて製造技術部門を担当していたものであるが、同会社が多額の債務を負担して経営困難となり、その局面打開の方策につき苦慮した末、同会社工場の火災保険金を取得して債務の整理をしようとして両名は共謀し、昭和二十六年二月二十三日午前三時頃瀬戸靖夫において右工場建物西南寄りの乾燥室に放火して同工場を全焼させたものである」との理由で懲役四年の判決を受け、これに対し控訴の申立をしたが控訴棄却せられ、次で上告の申立をしたが昭和三十六年三月二十四日上告棄却の決定があり、右第一審の判決は確定するに至つたのである。すなわち右確定判決によると本件請求人は放火の実行行為者瀬戸靖夫と共謀し、所謂共謀による共同正犯者と認定せられ、その証拠として瀬戸靖夫の司法警察員並びに検察官に対する供述調書等、同人の供述にかかる一連の証拠が引用されているのであるが、本件請求人は瀬戸と共謀して保険金を取得する目的で放火したようなことは毛頭なく、その真相は従前瀬戸靖夫の一族が経営していた前記会社の経営権を請求人が計画的に乗取つたうえ、右一族に冷酷な圧力を加え、更に同人をも不用の者として排斥しようとしているものと瀬戸靖夫が判断し、請求人に対する怨恨から自己が単独で放火したものである。この事実について、目下滋賀刑務所に服役中の瀬戸が昭和三十六年五月十日懲役刑の執行を受けるに先だち前言(請求人と共謀して放火した旨の司法警察員並びに検察官に対する供述、なお公判廷においては完全に否認した)を飜して自己が単独で放火を為したという旨の告白をして弁護人藤田三郎宛にその書簡を送つているのである(第一号証)。この告白は請求人に対して無罪を言渡すべき明らかな証拠をあらたに発見した場合(刑事訴訟法第四百三十五号第六号)に該当するので本件再審の請求をした次第であるというのである。

よつて本件関係記録を精査すると、請求人が昭和二十九年七月九日当裁判所において放火の事実により懲役四年の判決を受け、控訴の申立をしたが、控訴棄却せられ、次いで上告の申立をしたが、昭和三十六年三月二十四日上告棄却の決定があつて、右第一審の判決が確定したこと並びに右判決は瀬戸靖夫の司法警察員並びに検察官に対する供述調書等瀬戸靖夫の供述にかかる一連の証拠が前記犯罪事実認定の証拠に供せられていることは明らかであり、更に本件再審記録及び当裁判所の事実の取調の結果によると瀬戸靖夫は判決確定後、刑の執行を受けるに先だち、和歌山市より弁護人藤田三郎宛に書簡を送り、第一審及び第二審の公判を通じ全面的に放火の事実を否認していた供述を改めて、自己が単独で放火をしたと告白していることも認められる。

そこで、右瀬戸靖夫の書簡が刑事訴訟法第四百三十五条第六号に規定する再審事由に該当するかどうかについて審究することとする。おもうに再審制度は確定判決の事実認定に著しい瑕疵がある場合に、これを固執することはかえつて正義に反することとなるところから、法的安全性の要請である確定判決の不可争性を犠牲にして、なおかつ正義を全うしようとするものである。それ故に刑事訴訟法は再審請求事由を限定的に列挙し、再審請求理由自体が確定判決の存在を到底容認できないほどの十分の根拠をもつものでなければならないとしているのである。このような観点からして、刑事訴訟法第四百三十五条第六号にいう無罪を云渡すべき「明らかな証拠」とは、確定判決につき再審請求人申立にかかる証拠が証拠能力があり、しかもその証拠の真実性が高く、それのみによつても再審裁判所をして右有罪の認定を覆して無罪の認定をなすべき理由が明白であると首肯せしめるに足る程度の高度の証明力のある証拠を指称するものと解するを相当とする(最高裁判所昭和三十三年五月二十七日決定、同判例集第一二巻第八号一六八三頁参照)。本件における前記瀬戸の書簡は刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号の規定からしても証拠能力がなく、検察官の意見に徴しても、公判移行の際その同意を予期しえないものであるから、証拠能力を欠くものとして、この点において、すでに「明らかな証拠」と認めることができないものであるがいま仮りに、この点につき百歩を譲り、証拠能力ありとして、それが高度の証明力を有するものかどうかについて検討するに、同書簡は作成者瀬戸において第一審判決認定の本件請求人井戸善一郎との共謀による放火の事実を否認して単独犯行なりと主張し、その単独犯行の動機として井戸は元瀬戸一家が経営していた玉栄燐寸株式会社の出入の商人に過ぎなかつたのに玉栄燐寸の経営が行き詰り、これに代る新会社としてタマ燐寸株式会社を設立した際大口債権者として社長に就任した不満、社長就任後の井戸の独断的経営振り並びに瀬戸一家に加えた態度、圧力に対する不満等の怨恨より放火をしたというのである。

然し、右井戸に対する怨恨より放火したということは本件放火被告事件の既済記録中の

一、被告人瀬戸靖夫の司法警察員に対する第一回乃至第四回供述調書

一、同被告人の検察官に対する第一回乃至第五回供述調書

一、裁判官の同被告人に対する勾留の際の調書

一、裁判官の井戸善一郎に対する勾留の際の調書

一、被告人井戸善一郎の検察官に対する第一回乃至第三回供述調書

一、同被告人の司法警察員に対する第一回供述調書

一、第一審第十四回公判調書中証人田中等の供述記載

一、同第二十回公判調書中証人山名一の供述記載

一、尾形旨正、木村国夫、小林茂、小堀欣二、植田稔春、二井原亥太郎の各検察官に対する供述調書、同人ら提出の顛末書及び尾形旨正提出分以外の各顛末書添付の火災保険契約書写又は控

等の各証拠に照らして、容易に首肯し難いものがあり、更に当裁判所の事実の取調において取調べた証人瀬戸靖夫に対する尋問調書中同人が

一、本件放火事件で司法警察職員や検察官より取調を受けた際、捜査官に対し保険金詐取の目的で放火したと自白し、一回も同人の前記書簡に記載の如く井戸に対する怨恨より放火したものであると述べたことがないとの供述

一、井戸に対する怨恨より放火したと証言し乍ら、放火して後の自己の刑事責任につき何も考えなかつた旨の供述等を綜合して考察するときは前記瀬戸の書簡中放火の動機並びに単独犯行なりとの記載は甚だ疑わしきもので、本件確定判決を覆すに足る高度の証明力あるものとは到底認められず、従つて右書簡は刑事訴訟法第四百三十五条第六号にいう「明らかな証拠」に当るものと認めることはできない。

なお請求人は第一審判決で認定の和歌山市湊一五〇〇の二〇番地所在のタマ燐寸株式会社工場に放火した放火の方法は事実と相異すると主張するが、仮りにそのようなことがあつたとしても、瀬戸が同判決認定と同一日時同一工場に放火して、同工場を焼燬した事実に相違はなく、従つて右瀬戸の責任はもとより、共犯者たる請求人井戸の責任にも何等の影響を及ぼすものではなく、この点を以て再審請求事由となすをえないことは云うまでもない。

以上により本件再審請求は理由がない。

よつて刑事訴訟法第四百四十七条第一項の規定に従い主文のとおり決定する。

(裁判官 中田勝三 尾鼻輝次 大西浅雄)

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